突然ですが、
古いものを見るのが好きです。世界の民族とか日本の古代宗教とか数千年くらい前の。宇宙の歴史とかも大好きです。
こういった古いものは、レトロとか回顧主義的な意味で見てるんじゃなくって、度が過ぎて古いものは新しいからです。
多分新しいものが好きな人は、古いものが好きになる要素を持っています。
アイデアに詰まったら、古いものを見にいく事をオススメします。
もしこの時代にこれを見たら今で言うところのあれぐらいのインパクトがあっただろうな、なんでこんなにさびちゃったんだろうとか、みえるものの間を妄想で埋めるみたいな、古いものに対峙して、自分の想像力を限界まで試すのが好きなんですね。
一方このさびがいいんだよという意見には余り興味が無いんですが。へーそうなの?
美術館にある必要は全然なくて、骨董市とか、あと、町とか、地形とかでもいいんですよ。
町には500年前の石とかなら結構捜せばあるもので、特に用途が無く、興味をもたれにくいもの、忘れられたものが、特に古くまで残っています。
そういう観点で町を歩くのも好きです。
すくなくとも自分にとって新しい、という言葉は想像を膨らませてくれるもの、とほぼ同等の意味を持っているといえます。
テレビで放送大学を見てたら博物館などで歴史を学ぶときに学芸員が気をつけているのは、歴史像の扱い方だと言っていまして、ああ、そうかと思いました。
歴史事実も大事だが、研究者や鑑賞者が作り上げる歴史像=イメージ(解釈項)がどうかが重要なのだと、、、。
伝統についてもよく言われるものが、時代にアダプトできるものだけが、残っていくということです。一貫性は固定的にとらえられがちですが、伝統には常に動きながら均衡を保っているという一貫性が不可欠なのだと思います。環境は動きますから、それに対応できるかが残っていくために不可欠なんでしょう。
話がそれました。
そんな訳でエピステーメーの違いとかしか感じなくなって、1000年前のものと最新のものが同等に扱えるようになってくるという、
古いものも新しいものも、同じ構造的な見方ができると楽しいぜ、というお話でした。
これができるのは、日頃から身体を意識して技術や技巧を使っている人の方が受け入れやすいと思います。
技巧とか身体性ってのは時空を超えて比較できますから。
だからこそ職人は400年前の名工の技巧を身近に感じる事ができるんでしょうね。技巧や技術にはそういった普遍性があるのかもしれません。
今回もまとまらないおはなし。
これからは古いものも取り上げるぜって事です。