思考を整理して再編成する機械

2010年宇宙の旅にテレビ電話が出てきて、あーできちゃったなーと思う。
そんでロボット工学が進んでいる。軍事的な目的から、介護や癒しにいたるまで、ロボットの社会的な役割は幅広い。
今はまだなんかぐちゃぐちゃなんだけど、何となく、こういった技術がきれいに淘汰されていって、飛び抜けた感覚を作ってほしいと思うのだ。
特にロボットと、マシンビジョンが結びつき、そこに思考を制御するための機械が加わるとかなり面白い世界が広がるのではないかとおもっている。
単純な話として、人間は1000本の手を制御するようにはできていないんだけど、そういう機械は技術的にはできるはず。
ではなぜつくれないかというのにはそれを扱う人間の側に問題が多い。1000本の手を動かす思考みたいなものって言うのはどうなのかなと、千手観音を見ていると考えてしまうんだけど、多分自律神経がすごく発達していて、2、3本以外はたいした事できないんだけど、勝手に動くんだろうなとか思う訳です。
人間の身体的な問題が、技術に抵抗するみたいな時代にきていて、もっと人間が進化しないと面白い世界に行けないんだなとか思ったりします。
人間と技術の間には、音速を超えたいんだけど加速度に体が負けちゃうみたいな事が起こっている。
ロボットは近いうちに、自律して考えるようなものになり、100年もたてば機能としては「人間と同じ」になるのは間違いなくて、命の定義は思考する事とは別にもっとドライに定義されると思うし、哲学者ががんばってほしいなという感じですが、そうなったときに、人間はもっとグロテスクな思考を求めるんじゃないかと思う訳です。
「保守→破壊→再構築」「古典絵画→キュビズム、ダダ→バウハウス」みたいなおなじみな構造が近年はコンピュータやネットで起こっているけれど、同じような事は多分人間の思考でも起こっていて、社会的な枠組みがそれによって再編されて、それになじめないカウンターカルチャーが生まれて、、、とぐるぐると歴史は繰り返す。
あ、だから何がいいたいかと言いますと、
人間型のロボットには、今の社会の受け入れられやすさはあるんだけれど、人間と社会的な役割がかぶっちゃうから将来のスタンダードにはならなくて、今でももっと目に見えない、超身体的ものが、ロボットのスタンダードになっている。「工業用ロボット」と「車」が最も今のロボットとしては大きい役割を果たしている。道路ってロボットのための道ですからね。いつもはきづいてないふりしてるけど、きづくと腹立つよね。真ん中歩きたいでしょ。
「工業用ロボット」が「車」つくってる映像とかなんかもう、未来社会の縮図でしょう。

で、だから人間の身体を表彰するにはロボットより「思考を整理して再編成する機械」の方が重要になってくると思う訳です。幽体離脱とか偏在思考とかができるための仕組みで、人間の神経が社会にくまなく張り巡らされているような状態ですね。あ、雨降ってきたなーと思ったら洗濯物が取り込まれるような仕組みが多分できるはず何ですね。

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